Key Takeaways
通信事業者は、単なる「土管」から脱却し、デジタル価値を自ら創出する「Techco(Telecom と Technologyを融合したサービスの提供、日本でよく言われるICTをさらに高度化)」と「AI時代を支えるプラットフォーム」へとシフトする激動期にあります。
しかし、その変革の裏では、数十年にわたり蓄積されたレガシーシステムと、それに伴うオペレーションコストの膨張が通信事業者の足を引っ張り続けています。
本記事では、最先端の自律型AIエージェント(Agentic AI)の導入により、複雑に絡み合った業務とインフラを劇的にシンプル化し、従業員・顧客・パートナーが協働する「Agentic Enterprise(エージェンティック・エンタープライズ)」へと変革を遂げるロードマップを、グローバル通信事業者の先行事例とともに、緒方幹人が提示します。
AIでどう変わる?通信事業者のカスタマーサービス
問合せ対応の負荷やオペレーターの離職に悩む現場は少なくありません。同じ課題を抱える通信業界の実態と対策を調査レポートで確認できます。
目次
通信業界の「3つの課題」とAIエージェントが必要な背景
現在、通信業界が直面している課題は、個別業務の非効率ではなく、業界全体の根幹に根ざす「構造的変化」です。これらは個別に解決することはできず、全体を包括する自律的アプローチが不可欠です。
1. レガシーITシステム(巨大なITスパゲティ)の維持コスト高騰
通信キャリアの生産性向上を阻む最大の要因は、明確です。
企業の成長のために音声・モバイル・IoT・セキュリティなどサービス単位ごとに構築されたBSSとOSS(業務・運用支援システム)、営業・ショップ・コールセンター・オンライン・チャットなどのチャネル単位システムといった蓄積されたレガシーITが「巨大なITスパゲティ」と化し、IT予算の実に70〜80%が日々の維持・運用コスト(OPEX)に消えている構造矛盾にあります。
通信ビジネスを内外で携わってきた経験から、多くの通信キャリアは企業買収や独自のサービス拡張を重ねた結果、BSS/OSSやERPが複雑に絡み合い、ブラックボックス化しています。
例えば、英British Telecom(BT)は1984年の民営化以来蓄積されたレガシーITにより、社内に「100以上のサイロ化されたシステム」を抱え、莫大なIT維持コストを垂れ流していました。
2. BSS/OSS、他データのサイロ化に伴う顧客体験の劣位
通信顧客のロイヤルティが低下する本質的な原因は、契約情報、購買履歴、利用端末、NW障害や対応履歴などの重要データがシステムごとに分断され、顧客の全体像を一括管理できていないことにあります。
現場の営業担当者やコールセンター、ショップでは、一度の顧客対応のために複数の異なる独自データベースを行き来し、人手で突き合わせるアナログ作業を強いられています。
契約更新、料金プランの変更、住所変更といった手続きのプロセスごとに異なるマニュアル作業が発生するため、顧客にとっては「たらい回しにされる」「確認に何日も待たされる」という、デジタルの時代には許容しがたい顧客体験の劣化(アドバイスギャップ)を招いています。
3. ネットワーク運用及び工事関連作業における属人化されたオペレーション
従来のネットワーク運用や現場エンジニア業務は、作業割り当てのミスマッチや手順書の多重管理により、現場作業員の稼働時間が構造的に搾取され多大な人的コストが発生しています。
何万人規模もの技術者が稼働する現場において、どの案件にどの作業員を割り当てるべきか、ネットワーク工事のプラン作成やスケジュール管理を人手で行うことには限界があります。
英BTの100%子会社で、3万5000人規模でネットワーク工事を担うOpenreachでは、かつてマニュアル調整に依存していたスケジューリングや手順書の二重管理が、巨額の非効率コストを生み出していました。
NTTドコモの実例から紐解く業務プロセス改革
レガシー脱却に向けて、NTTドコモが年間3,600時間を効率化した業務プロセス改革の第一歩を紹介します。
通信キャリアの変革が進まない「3つの構造的理由」
なぜ、現場が血のにじむような努力を重ねているにもかかわらず、これらの課題は解決しないのでしょうか。その本質的な理由は、組織の怠慢ではなく、通信業界特有の「システム構造」です。
1. 顧客のコンテキスト理解を阻む「断片化されたデータ」
通信キャリアのデータ基盤において、顧客の利用状況、料金情報、利用サービス、対応履歴といったコンテキストが、独自のデータベースごとに「断片化」して格納されているケースが非常に多く、変革を支える技術となるAI活用の障壁になっています。
データが存在しないのではなく、「意味のある形でつながっていない」設計に問題があります。レガシーシステムは構造化・非構造化データが不規則に入り混じり、リアルタイムの同期ができない仕様になっているため、AIを導入しようとしても、肝心のコンテキストが不足し、正確な処理を実行できない問題があります。
2. 熟練技術者の「属人的な技術・運用ナレッジ」の暗黙知化
複雑なネットワーク設計、障害の原因追求から復旧、現地対応における高度なナレッジが熟練者の個人記憶やローカル環境のファイルにとどまっているため、技術の継承や自動化が阻害されています。
特にネットワーク構築・運用に必要な技術情報の参照は人手に依存しており、障害が発生した際のトラブルシューティング手順が暗黙知化しています。このノウハウをデジタル化・構造化できていないことが、現場の対応スピードとサービス品質をリセットする要因となっています。
3. 社内コスト(OPEX)削減に偏ったAI投資
これまでの通信業界のAI投資は、コールセンターの通話要約や文字起こしといった、社内コスト(OPEX)の削減のみで、顧客に直接価値を提供して新規収益を生み出す「収益化エージェント」へのシフトが遅れています。
ネットワークやコンピューティングリソースを動的に拡張し、イベントに応じて課金を行う柔軟なビジネスモデルやそれを支える仕組みが不足しているため、自律AIエージェントを直接的な利益ドライバーに昇華できていません。
通信キャリアのデータ収益化戦略
金融詐欺被害41%減や、運用コスト25%など、他国はどのように分断されたデータを統合・AI活用して価値を生んだのか?4つの実践シナリオを解説します。
通信業界の次世代モデル「Agentic Enterprise」とは
このレガシーの呪縛を解くカギが、AIを「単なる相談役(チャットボット・Copilot)」から、自律的に判断してシステムを操作する「実行役(AIエージェント)」へと完全にシフトさせる次世代モデル、Agentic Enterpriseです。変貌をとげるための具体策を解説します。
サイロ化されたデータを「AI Ready」に。100%の顧客理解で対応を
次世代の営業・サポート体験は、全社に分散した顧客コンテキストをリアルタイムに統合し、「1つの正しい情報(Single Source of Truth=SSOT)」が従業員の判断を裏で支えることから始まります。
顧客の世帯、プロモーション履歴、購買状況、実際の利用端末、CSAT(顧客満足度)スコア、さらには過去の折衝・通信障害履歴に至るまでのデータがプラットフォームによって瞬時に集約されます。
営業担当者やオペレーターは、複数システムからの情報収集や整理に時間を奪われることなく、AIエージェントと共に最適な対応・提案内容を作り上げることに集中できます。
AIエージェントとシステム連携による「ゼロタッチ」オペレーション
顧客向けAIエージェントとバックエンドシステムがシームレスに連携することにより、従来、人が何段階も検証していた開通や料金登録といった各種オーダー手続きを、瞬時に「人手を介さない(ゼロタッチ)」で完了します。
契約更新や料金プランの切り替え、デバイスの発送といった注文が入った際、自律エージェントはSSOTと製品カタログを照らし合わせ、最適な処理プランを作成し、契約手続き案内。オーダーシステムへの登録までを、顧客との会話の文脈に沿って一気通貫で自動実行します。
Autonomous Networkによるネットワーク監視・最適化・運用の自律化
通信インフラは障害やサービスレベル監視といった情報を元に、AIエージェントによって自律稼働する「Dark NOC(24時間365日無人運用センター)」へと移行。障害の予兆検知から自己修復までをミリ秒単位で実施する世界へと変革していきます。
自律AIエージェントは、リアルタイムでネットワークを監視・最適化し、サイバー攻撃を検知した場合は自律的に防御を行います。さらに、トラフィック需要に完全に適応した動的な電力管理(リアルタイム・エネルギー最適化)を実行し、持続可能なグリーンインフラ運用を同時に実現します。
Salesforceが考えるAgentic Enterpriseのシステム
Agentic Enterpriseはすでに、世界トップクラスの通信事業者によって実証され、驚異的なビジネス成果として現れています。それを支えるSalesforceのシステムを解説します。
Agentic Enterpriseを実現する4つのシステム層
Salesforceが考えるAgentic Enterpriseを具現化する「4層アーキテクチャ」は、以下です。

- 第1層:System of engagement(エクスペリエンス層)
従業員と顧客がシームレスに対話するための共通インターフェース。Slack、音声、Web、モバイル、メッセージングを通じて、最も都合の良いオムニチャネルでAIと協働します。 - 第2層:System of agency(エージェント層)
自然言語の意図を把握し、スキル(BSS/OSS接続・見積作成・請求対応など)を活用して、業務プロセスを自律実行するAIエージェント(Agentforce)の中核層。 - 第3層:System of work(アプリケーション層)
営業、サポート、フィールドサービスなど、通信業界向けに最適化されたベストプラクティスが稼働する、業務ワークフロー実行層。 - 第4層:System of context(データ層 – Data 360)
BSS/OSSやERPなどの複数の巨大なレガシーシステムから、データをコピー・移動することなく安全に接続・統合する「ゼロコピー技術」。これにより、既存システムを数年かけて一からリプレイスすることなく、極めてセキュアかつ迅速に「AI-Ready」なシングル・ソース・オブ・トゥルース(SSOT)を構築できます。
通信業界の営業支援からカスタマー対応まで、まとめて自動化
アポ取得・商談準備・見積書作成からカスタマーサービスの自動化まで。通信事業特化のAIエージェントの動きを実際の製品デモ動画でご覧いただけます。
世界をリードする先進通信キャリアの変革事例と成果
ここからは世界の先進事例を4つ紹介します。
① 【米AT&T】年間200万時間の従業員稼働削減とリリース8倍速化

- 課題:オンプレミス環境に散在する6700万件の顧客データがサイロ化し、レガシーシステム間でのデータの突き合わせや手作業の業務フローにより営業プロセスが著しく非効率化していた。
- 意思決定:オンプレミスのレガシーシステムを刷新するのではなく、MuleSoftのCloudHub(マネージドサービス)を活用してセキュアな連携APIを2.5か月で実装。Salesforce上に「C360(顧客360度ビュー)」のデータ基盤を構築した。
- 成果:従業員の稼働時間を年間200万時間削減することに成功。さらに、新サービスのリリーススピードは従来の1年から6週間へと8倍高速化し、APIの再利用率は75%を達成した。
② 【米Lumen】初年度560万ドルのコスト削減とB2Bプロセスの劇的簡素化

- 課題:法人向けビジネスにおいて、複雑なPDF契約書の内容とオーダーシステムに手入力されたデータを目視でチェック・検証するアナログ業務に、毎週膨大な時間とリソースが奪われていた。
- 意思決定:Agentforceを活用。PDF契約書のデータをAIが自律的に構造化して読み取り、注文システムと自動照合(検証)して誤入力を特定するシステムを導入。また、契約更新間近の顧客へAIが自律的に自動更新案内をメールで送付し、直接の返信を受け取って更新処理まで自律実行する「ゼロタッチ更新」を実現した。
- 成果:担当者の生産性を毎週300時間以上創出。B2Bの見積作成時間は97%短縮、初年度のみで560万ドル($5.6M)のコストを削減した。
③ 【One.nz (Vodafone New Zealand)】5週間で料金プランエージェントを構築

- 課題:長年にわたる刷新の繰り返しで、新旧プランが複雑に混在。100万人を超えるプリペイド顧客が最適なプランを見つけられずにWebサイトから離脱するリスクが高まり、店舗・電話サポートの限界が近づいていた。
- 意思決定:CEOのJason Paris氏のリーダーシップのもと、「Agentforce Communications(旧Communications Cloud)」を活用してバックエンドシステムと自律連携するプラン変更・注文自動実行エージェントを構築。
- 成果:わずか5週間で料金プランエージェントを構築・展開。従来のチャネル比で4倍高い顧客エンゲージメントを達成し、カスタマー対応時間を40%短縮、購入ジャーニーのクリック数を60%削減した。
④【Personal (アルゼンチン】現場サポート対応コールの20-30%削減

- 課題:現場で発生する障害トラブル対応において、技術者がマニュアルを現場で確認する手間が発生し、作業のミスマッチが多発していた。
- 意思決定:Agentforceを現場技術者対応用のモバイルアプリに直接組み込み、プロアクティブな障害検知と、作業手順のデジタル案内、エラーの自動チェックをAIエージェントが自律的に実施。
- 成果:技術者から本部へのサポート対応コールを20%〜30%削減することに成功した。
「よくある質問」でおさらい
A. いいえ、膨大なBSS/OSSシステムをすべて捨てて一から再構築する必要はありません。
既存のレガシー基幹システムや、いわゆる「ITスパゲティ」を物理的に解体しなくても、従来の技術であるCDP, ETL, iPaasなどを活用することで、既存の資産を活かしたまま「AI Ready」な「信頼できる一つの情報源(SSOT)」を最速で構築することが可能です。
AT&TがiPaasを活用したアプローチによってわずか2.5か月でAPI連携を果たし、劇的な生産性向上を得た事実が、その実現可能性を明確に裏付けています。
A. 最大の違いは、AIが単なる「情報提供」にとどまるか、システムを跨ぐ業務の「自律実行役」を担えるかにあります。
従来のチャットボットやCopilotは、ナレッジを検索・要約して画面に表示し、「人間が処理を行うのを助ける」レベルのものでした。一方で、自律型AIエージェントは、統合データとシステム接続をベースとし、本人の意図から最適な「業務ワークフロー」を自ら選択します。
これにより、人間が一切介在しない状態(ゼロタッチ)で契約更新を完了したり、注文検証、あるいはインフラの障害迂回といった複雑な処理を自律的に完了させることが可能です。
前述のOne NZは、まさにAIエージェント(Agerntforce)が統合顧客データ(Data360)からの情報を元に処理ワークフロー(Agentforce Communciations)を選択し、料金プランの処理を自律完了させています。
A. 信頼できるプラットフォームの「Trust Layer」およびセキュアなゲートウェイが必須となります。
「MuleSoft Agent Fabric」をはじめとするセキュアなエージェントゲートウェイは、AIが実行処理を行う際、コンプライアンスやセキュリティポリシーをリアルタイムに自動適用し、EU AI法などの最新のグローバル法規制を厳格に順拠させます。
個人情報の保護(マスキング)や機密の非構造化データのアクセス制御を担保した「Responsible AI Governance & Security」のもとで稼働するため、エンタープライズ領域におけるデータ漏洩や予測不能なAIの暴走を防ぐことが可能です。
自律型通信キャリア(Agentic Techco)への実践に向けた次のステップ
本記事で提示した「レガシー脱却」と「AIの自律実行化」は、もはや未来の話ではなく、競合他社がすでに成果を享受している「現在進行形の現実」です。
膨大なIT維持コストを垂れ流し続ける「土管の提供者」で終わるか、自律的な自社AIファブリックを駆使して新たな収益を生み出し、AI時代を支えるプラットフォームとして、圧倒的な顧客ロイヤルティを築く次世代の通信事業者へと進化を遂げるか、その決断の時が来ています。
技術の導入そのものよりも先に、経営層がまず自問すべきなのは、「自社の従業員や技術者が今、本来の顧客対応やイノベーション設計に何割の時間を使えているか、すると巨大なITスパゲティの維持にどれだけのパワーを浪費しているか」という本質的な問いです。この現状を客観的に直視することが、変革の起点になると考えています。
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